(※人によってはフラッシュバックを起こしたり、調子を崩したりする記事かもしれないのでご注意下さい。今後、このタイプの記事がしばらく増えてくると思います。)

~~~~~~~

今から2年半前に父の末期ガンが発覚して以降、僕は頻繁に実家に顔を出した。

告知はしてなかったので、父が死期を悟っていたのかはわからないけど(悟っていたと思うが)、僕が実家にいた頃よりもずっと、父は『ぱか』・『バカ』と『ぱか』の中間を連発していた。

失語症で言葉が上手く出てこないなかで、どんな会話でも、何を訊いても脈絡なく一言目には『ぱ、ぱか!』、二言目にも『ぱか♪』と植え付けられたバカを吐き出すことが多かった父。

父が『ぱか』・『バカ』と言う度に、モラ母は『バカ好きなんじゃけえ(笑)♪』の他にも、『あ~天才♪天才♪』などと(僕から見れば)ふざけたことをいつしか返すようになっていた。

~~(僕には実家脱獄以降の約6年間の父と母のやり取りがどうだったかは、全く見てないからわからない。でも、僕の予想ではモラ母が父に対して『天才』などと言い始めたのは、父の末期ガンが発覚して以降のことだと思っている。心のどこかでは父に『バカ』を植え付けたことをわかっているモラ母は、父の死期が近いことから罪悪感に囚われて、植え付けた『バカ』を中和しようと『天才』と言い始めたと僕は思っている。末期ガンが発覚して以降、モラ母は『じゃあ優しくしてやろう』と「してやろう」宣言をしていたし。)~~


僕はモラ母の父に対する『バカ好き』・『天才』発言を聞く度に、腸が煮えくり返るぐらいの怒りを覚えた。

『・・・こんなに人を「バカ」にした話はない(怒)!』と。


『・・・でもオヤジの死期が近い今、そんな話は今蒸し返すべきじゃない』と怒りを抑え込み、それらのモラ母の下衆発言を全てスルーした。

父の死期が近付くなかでも、僕の脳内はモラ母へのそれまでの憎しみ・新たな怒りでいっぱいだった。父のことを考える時間よりも、毒母のことを考えてる時間の方がずっとずっと多かった。それは今現在もである。


~~(※こうやって、母には言えない気持ち・感情が憎しみとして幼少時より溜まっていってたんだと今は思う。母と関わってると、母の毒のある言動に絶句して言葉が出てこなかったり、逃げ口上やモラハラ発言で何も言えないように仕向けられたりすることがあまりにも多過ぎた。

憎しみが溜まって『ウツ』を引き起こした。僕も父も姉も、母に言えないことが多過ぎてウツになった部分が大きいと思う。そして、一旦ウツまで貶められれば、それが口実となって更なるモラ母からの虐待を引き寄せてしまった。「ウツになって母に攻撃されるのが怖い」というIP思考に支配されてたから、僕も姉も父もなかなか心療内科に通おうとしなかったんだと思う。

言えないことだらけのせいで、モラ母のせいで父はしゃべることができなくなり、失語症が重症化したと私は思っている。父の『ぱか』発言はささやかな悲しい抵抗だった、と私は思っている。)~~



(↓当ブログを応援して下さる方は、クリックして下さると励みになります。いつも読んで下さってありがとうございます。)
にほんブログ村 家族ブログ DV・モラハラへ
にほんブログ村
にほんブログ村 家族ブログ 家庭崩壊・機能不全家族へ
にほんブログ村


DV・モラハラ ブログランキングへ