あれは約10年前の夏の終わり頃、今ぐらいの季節のことだった。
僕・父・母の3人で父が入所できそうな施設見学に行ったことがあるけど、その後数日以内のことだったと思う。
ある日、病室で親子3人何もしゃべらずまったり過ごしていた時のこと。
父が不意に、『よひっ!!はえおう!!(=よしっ!帰ろう!!)』と強い口調で言った。
半身不随で体の右側が動かないため(口も)に聞き取りづらかったけど、僕には父のセリフが明らかに「よしっ!(家に)帰ろう!」に聞こえた。
「家に帰りたい」という父の表明、僕はそう受け取った。
~~(父は最期まで別に入れ歯は入れなかった。部分入れ歯も入れておらず、最後まで自前の歯はかなり残っていた。入れ歯を外している時の様に受け取れるしゃべり方を今までも書いたことあるけど、それは半身不随の後遺症です。)~~
父は「よひっ!!はえおう!!」を何度か連呼した。独白と言うよりは、僕と母に聞かせて「帰りたい」意思を示すかの様に。
父の目には決意とまで言えるほどの力強さは感じなかったけど、希望の色が浮かんでいる様に僕には見えた。ついこの間まで絶望の眼差しをしていた人間が、生きる希望を見出した様に僕には見えた。
~~(父は施設見学の後にこのセリフを言った。施設入所が現時点(当時)では厳しいことは、父も感じていたはず。いや、初めから施設入所は嫌で、見学も乗り気じゃなかったんじゃないかと。この時点まで、僕は父の意思を確認していなかった。母もしてなかったと思う。未確認のまま施設見学にも行ってたはずだし、父も交えてその辺りの話し合いなどしたことはなかった。)~~
僕・父・母の3人で父が入所できそうな施設見学に行ったことがあるけど、その後数日以内のことだったと思う。
ある日、病室で親子3人何もしゃべらずまったり過ごしていた時のこと。
父が不意に、『よひっ!!はえおう!!(=よしっ!帰ろう!!)』と強い口調で言った。
半身不随で体の右側が動かないため(口も)に聞き取りづらかったけど、僕には父のセリフが明らかに「よしっ!(家に)帰ろう!」に聞こえた。
「家に帰りたい」という父の表明、僕はそう受け取った。
~~(父は最期まで別に入れ歯は入れなかった。部分入れ歯も入れておらず、最後まで自前の歯はかなり残っていた。入れ歯を外している時の様に受け取れるしゃべり方を今までも書いたことあるけど、それは半身不随の後遺症です。)~~
父は「よひっ!!はえおう!!」を何度か連呼した。独白と言うよりは、僕と母に聞かせて「帰りたい」意思を示すかの様に。
父の目には決意とまで言えるほどの力強さは感じなかったけど、希望の色が浮かんでいる様に僕には見えた。ついこの間まで絶望の眼差しをしていた人間が、生きる希望を見出した様に僕には見えた。
~~(父は施設見学の後にこのセリフを言った。施設入所が現時点(当時)では厳しいことは、父も感じていたはず。いや、初めから施設入所は嫌で、見学も乗り気じゃなかったんじゃないかと。この時点まで、僕は父の意思を確認していなかった。母もしてなかったと思う。未確認のまま施設見学にも行ってたはずだし、父も交えてその辺りの話し合いなどしたことはなかった。)~~
僕は父の帰宅願望の表明を聞いて、『チャンスだ!』と思った。
「つい1ヵ月くらい前までは絶望の目をしていて、医者が自殺について口に出す様な深夜のベッド抜け出しをしていた人間が『家に帰りたい』という希望を持った。これはオヤジにとって生きる希望を持つチャンスだ!いい傾向だ!」
僕は父の言葉をそんな風に捉えた。
~~(ちなみに、ベッドの取り外し可能な部分の柵は、転院してからのこのB病院でも前のA病院と同じく、夜は他の柵と紐で縛って外れない様にしていた。父がベッドを抜け出せない様に。)~~
施設入所は現時点(当時)では無理っぽい流れは僕も母も感じていた。自宅介護は規定路線だった。
僕は父に、『お~!その意気じゃあ!いいこと言うじゃん、オヤジ!!もう少しで帰れるで~!!』という様なことを言った。
他にも口には出さなかったけど、「そ~かあ、こんな鬼嫁がいる家でも帰りたいかあ・・・数年前に引っ越したばっかのマンションで単身赴任だったオヤジはあんまり住んでなかったはずだけど、家に帰れば今以上にオフクロに酷い目に合わされるのが嫌でオヤジは施設に入りたいと思うかもってオレは勝手に思ってたけど、やっぱり帰りたいかあ・・・」という様なことも僕は考えた記憶がある。
でも、鬼嫁は父の帰宅願望の表明を受けて、僕とは違うドス黒い感情を持ったらしい。
父の帰宅願望も、僕が勝手に「家に帰れる」っぽいことを父に言ったことも、話の内容によらず父と僕が仲良く会話したことも、その全てがモラ母は気に入らなかったんだと思う。今にして思えば。
その全てがモラ母の希望・感情に反するものだったらしい。
おそらくは、父が生きる希望の様なものを持ったことさえも・・・
父と僕のこの会話を受けて、傍で聞いていたモラ母の一番最低最悪なモラハラが何日間も始まることになった。
(続く)
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「つい1ヵ月くらい前までは絶望の目をしていて、医者が自殺について口に出す様な深夜のベッド抜け出しをしていた人間が『家に帰りたい』という希望を持った。これはオヤジにとって生きる希望を持つチャンスだ!いい傾向だ!」
僕は父の言葉をそんな風に捉えた。
~~(ちなみに、ベッドの取り外し可能な部分の柵は、転院してからのこのB病院でも前のA病院と同じく、夜は他の柵と紐で縛って外れない様にしていた。父がベッドを抜け出せない様に。)~~
施設入所は現時点(当時)では無理っぽい流れは僕も母も感じていた。自宅介護は規定路線だった。
僕は父に、『お~!その意気じゃあ!いいこと言うじゃん、オヤジ!!もう少しで帰れるで~!!』という様なことを言った。
他にも口には出さなかったけど、「そ~かあ、こんな鬼嫁がいる家でも帰りたいかあ・・・数年前に引っ越したばっかのマンションで単身赴任だったオヤジはあんまり住んでなかったはずだけど、家に帰れば今以上にオフクロに酷い目に合わされるのが嫌でオヤジは施設に入りたいと思うかもってオレは勝手に思ってたけど、やっぱり帰りたいかあ・・・」という様なことも僕は考えた記憶がある。
でも、鬼嫁は父の帰宅願望の表明を受けて、僕とは違うドス黒い感情を持ったらしい。
父の帰宅願望も、僕が勝手に「家に帰れる」っぽいことを父に言ったことも、話の内容によらず父と僕が仲良く会話したことも、その全てがモラ母は気に入らなかったんだと思う。今にして思えば。
その全てがモラ母の希望・感情に反するものだったらしい。
おそらくは、父が生きる希望の様なものを持ったことさえも・・・
父と僕のこの会話を受けて、傍で聞いていたモラ母の一番最低最悪なモラハラが何日間も始まることになった。
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