(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

2つ前の記事からの続きです。

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  (続き)

母の連呼モラハラに父は毎日嬲り回され、傍にいた僕もどんどん精神的に追い詰められていった。

『・・・オフクロはオヤジだけじゃなく、オレにも「帰れない」と言いたいの?オレに「大学に帰れ」ってことなの?オフクロはオレにもオヤジにも「オマエらに帰る場所はない!」と言いたいの?オヤジを攻撃してると見せかけて、オレにプレッシャーかけてるの?オレのとばっちりがオヤジに向いてるの?オレのせいでオヤジは攻撃されてるの?オヤジの家に帰れる枠を、オレが使ってしまってるの?』などという思考で頭がいっぱいになってしまった。


母が本来自分で背負うべき「罪悪感」を、なぜか僕が背負わされていた。自ら背負いにも行っていた。

『間接的PTSD』と呼べるものでもあったかもしれない。


『・・・オレのせいなの?オヤジがオフクロにこんなにも酷い目に遭わされて、死にかけてるのはオレのせいなの?オレがいなくなれば、オフクロはオヤジを攻撃するのをやめるの?オレがオヤジの代わりに死ねばいいの?オレがこの屋上から飛び降りればいいの?・・・いやいや、違うだろ!何考えてんだ、オレ!・・・オレが下宿先に帰ればいいのか?そしたら、オフクロはオヤジを攻撃するのを止めてくれるのか?いやいや、それは単にオレがオヤジがいたぶられてるところを目撃しないで済むだけで、オヤジに対するオフクロの攻撃は止まないんじゃないか?オレは一体どうしたらいいんだ?』


僕はただでさえウツ症状が思わしくない状況で、考え過ぎて、考えさせられ過ぎて、どんどん追い詰められていった。

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そして、父の「バカだからしょうがない」日記が唐突に出現したことが、さらに僕を追い詰めた。

その343 父親のこんな日記は読みたくなかった。
その344 あれは毒母からの宣戦布告だったと思う。


『・・・このままここにいたら、オレもオヤジの様にあんな日記書かされるの?オレも「私はバカです」書き取りさせられるの?昔のオヤジと同じく、今のオレもウツになっちまってるし・・・病院には行ってないけど、ウツはもう確定だろ・・・ウツになったら、オフクロに「バカ」にされるんだ!それとも、オレもオフクロに「バカ」って言っちまったから?それで「バカの刑」が待ってるの?オレもオヤジの様にオフクロから日々バカ呼ばわりされるの?・・・嫌だ・・嫌だ・・・嫌だあああж£Яё$#!!!』


僕は「バカ」の恐怖、「父が死ぬかもしれない」恐怖、背負わされた罪悪感、母のモラハラ、ウツなどなどでボロボロになった。

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連日の連呼モラハラ執行中に、僕は病室から逃げ出し、病院から逃げ出し、ついには実家から逃げ出した。


母には「どうせ10月から大学に戻るし、その前に一旦戻って部屋の掃除とかしてくる。ゼミの教授のとこにも顔出さなきゃいけないし。数日で戻ってくると思う。」などと言って。


逃げ出したと言っても・・・「数日で戻ってくる」などと僕は母に言った。別の逃げ道も確保しようとしていたのかもしれない。戻ることに含みを持たせようとしていたのかもしれない。

そのまま実家にいるのも、久々に大学に戻るのも、どちらも怖かった。

「バカ」の恐怖も、「オヤジが死ぬかもしれない」恐怖も感じていた。

ボロボロにされて、もう何がなんだかわからなくなっていた。


そして、新幹線で関東へ戻ろうとした僕は、切符は東京までを買ってるにも関わらず、なぜか大阪で下車した。

駅の構内で数時間過ごし、そのまま再び実家へ日帰りで戻った。

交通費数万円が無駄になった。


  (続く)

「追記」

この時の母の連日連呼モラハラは、自殺教唆モラハラとしても、連帯責任的罪悪感を操っての2人同時攻撃モラハラとしても、そこに行き着くまでの下準備的な日々のモラハラも、もう全てが悪い意味で完璧でしたね。



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