モラルハラスメント脱獄記-モラ母(毒親・毒母)の精神的暴力=DVからプリズンブレイク-

最新更新日:2016/08/29~~記事総数:約400記事(※現在、9割の記事を限定公開設定か、アップ取り止めにしています。)~~モラ母から精神的虐待され続けた、僕とオヤジ、ときどき姉の備忘録&克服記!!&僕が『悲しみ・怒り・憎しみ』などの負の感情に振り回されながらも、それを浄化・克服していく過程を綴った成長記にしたいです。 ~~※当ブログ発足(2010年12月)後の2012年春に、父は末期がんで他界しました。~~※現在、コメント・トラックバックは受付停止してます。~~※記事には星印☆0~5個までの6段階区分けがあります。「読んでいただけたらな」と思う記事ほど星☆が多いです。その分、被害体験などがある心身不調の方々が、調子を崩したり、フラッシュバックなどを起こす可能性が高くなる記事も混じってるかもしれません。※現在、限定公開とアップを取り止めた記事ばかりになっています(全体の9割)。※よろしければ、モラハラ・アンケート調査にご協力下さい。結果も見れます。

Category: 過去編その2

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思い出したことがある。

約10年前に父の目が絶望している様に感じられた、担当医師が「自殺」という言葉を使ったあの頃から、

僕は入院先の父のベッド横の棚に置いてある私物で、何か凶器になりそうなものを隠そう・隠そうとしていた。


凶器と言っても、せいぜい「カミソリ・爪切り・鼻毛切り様のハサミ」くらいしかなかったけど。

それでも僕は怖かった。

なるべく父の目に入らない様に、使ったらすぐ見えないところにしまっていた。半身不随の父ではまず手の届かない場所に置いたり、引き出しの奥にしまおうとしていた。

母が置きっ放しにしていたら、何も言わずにしまっていた(今思えば、これは母から見たら「嫌味な行動」に見えたかも・・・意地悪姑の細かいチェック的な意味に受け取って。こういう「すれ違い」はあったのかもしれない。)



「・・・カミソリで手首を切ることはできる・・・爪切りや鼻毛切りのハサミでも切れないことはないかもしれない・・」

「・・・ベッドの柵を固定してる紐や、ベッド下のセンサーパッドの配線だって切ろうとするかも・・」

などと僕はよく考えていた。

今考えても、別に大げさだとかは思わない。

「・・・凶器になりそうなものは、毎回家に持ち帰ってその都度持ってきた方がいいんじゃ・・・」などとも思った記憶があるが、僕はそれを母に言えなかった。



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もしかしたら誤解があるかもしれないけど、約10年前に母が父を連呼モラハラで連日嬲り回していた時、

僕は母に『父を施設に入れるな。自宅で面倒を見ろ。』などということは一切言ってません。


僕は「父が自宅介護になるか・ならないか」・「入所できる施設があるか・ないか」に関わらず、

ただ単に「父の帰宅願望をなかったことにして、嬲り回すのだけはやめてくれ」という主旨のことを母に言いたかっただけです。

母の連呼モラハラを切り口にした嬲り回しがあまりにも聞くに堪えなかったので、物申しただけです。



そもそも、「入所できる施設があれば父を預ける」という母の方針に、僕は最初から一切反対してなかった。

現実に母がメインで父の介護(虐待混み)をしていたし、自宅介護になれば更に母の負担が増すことは僕もわかっていたし、どこで就職するかも定まってなかった僕が介護のやり方はともかく、自宅介護を主張するなんてことは一切なかった(新卒就職できなかったけど、この時点ではまだ一応諦めてはなかった)。

自宅介護で人の目が少なくなれば、母の父への攻撃はますます酷くなる予感はあったし、「施設の方がオヤジもオフクロに攻撃されなくて済みそう。オヤジ自身がオフクロの攻撃を避けたくて、施設に入りたがるかも」とも思ってたから、むしろ僕は施設入所には賛成だった(父は家に帰りたかったことがわかったけど)。

正直、自分の就職場所などに影響することも含めて、入所に賛成だった。

現実には、その時点で入所は無理そうだったし、実際できなくて父は自宅介護になったけど、その後何年も経ってから施設入所の流れになったとしても、僕は反対しなかったはず。



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  (続き)

僕は久しぶりの新幹線や人込みの中で、「パニック発作」の様な状態になっていたと思う。

『・・・いいのか?このまま下宿先に戻っていいのか?「オヤジが死んだ」という連絡があって、すぐにトンボ帰りすることになるんじゃないのか?・・・怖い・・・怖い・・・実家にいるのも、大学に戻るのもどっちも怖い・・・座席に座ってるのも、人込みも怖い・・・どうすればいいんだ?オレは一体どうすればいいんだ?』

などと新幹線の席に座ってる間、終始そんなことで頭がいっぱいになっていたと思う。

脇の下や手に汗をぐっしょりかき、呼吸も乱れていたと思う。

~~(そう言えば、実家と大学を帰省で往復する時は、電車・バス内などでいつも緊張から汗をかいていたことを思い出した。)~~

目にも緊張ですごい力が入っていた感触の記憶がある。

~~(これを書いてる最中に、目の周りの皮膚や筋肉に当時の感触が蘇ってきた。)~~



僕はもう何を考えていいかわからなくなって、全てが怖くて、大阪で途中下車した。切符は東京まで買っていたのに。

駅のホームのベンチや、改札口近くのベンチにぐったり座って何時間も過ごした。

その後、地元までの切符を買って、日帰りで実家に帰ってしまった。

交通費数万円が無駄になった。続きを読む

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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

2つ前の記事からの続きです。

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  (続き)

母の連呼モラハラに父は毎日嬲り回され、傍にいた僕もどんどん精神的に追い詰められていった。

『・・・オフクロはオヤジだけじゃなく、オレにも「帰れない」と言いたいの?オレに「大学に帰れ」ってことなの?オフクロはオレにもオヤジにも「オマエらに帰る場所はない!」と言いたいの?オヤジを攻撃してると見せかけて、オレにプレッシャーかけてるの?オレのとばっちりがオヤジに向いてるの?オレのせいでオヤジは攻撃されてるの?オヤジの家に帰れる枠を、オレが使ってしまってるの?』などという思考で頭がいっぱいになってしまった。


母が本来自分で背負うべき「罪悪感」を、なぜか僕が背負わされていた。自ら背負いにも行っていた。

『間接的PTSD』と呼べるものでもあったかもしれない。


『・・・オレのせいなの?オヤジがオフクロにこんなにも酷い目に遭わされて、死にかけてるのはオレのせいなの?オレがいなくなれば、オフクロはオヤジを攻撃するのをやめるの?オレがオヤジの代わりに死ねばいいの?オレがこの屋上から飛び降りればいいの?・・・いやいや、違うだろ!何考えてんだ、オレ!・・・オレが下宿先に帰ればいいのか?そしたら、オフクロはオヤジを攻撃するのを止めてくれるのか?いやいや、それは単にオレがオヤジがいたぶられてるところを目撃しないで済むだけで、オヤジに対するオフクロの攻撃は止まないんじゃないか?オレは一体どうしたらいいんだ?』


僕はただでさえウツ症状が思わしくない状況で、考え過ぎて、考えさせられ過ぎて、どんどん追い詰められていった。

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2
母の父に対する連呼モラハラが始まる数週間前、真夏の頃だったと思う。

母が姉に何かの用事で電話を架け、例によって「姉は電話に出ない、何日も折り返し電話がない、やっとつかまっても態度がつっけんどん」だった時のこと。

~~(姉も僕と同じく電話が苦手だし、母に対して「内化した怒り」があるので、母への電話対応が悪くなってたんだと思う。実際に会えば母からの話聞かされまくりだし、電話ではせめてもの抵抗と言いますか・・・)~~


姉との通話が終わった直後、母はブツブツと独り言を言い出した。

『・・・あんな態度で旦那さんの親と上手くやっていけるのかしら・・・』

『・・・離婚して実家に帰って来るんじゃ・・・』

『!!!』

『そんなことは許さん(怒)!そんなことは許さん(怒)!』


母は1人でブツブツと文句を言い、自分で言った「離婚」という言葉に1人で怒り出し、「許さない」をイライラしながら連呼していた。


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3
  (続き)

母が連呼モラハラで連日父を嬲り回していた期間、その比較的早い段階で僕は思った。

『・・・オヤジに対するオフクロのこの悪意は、もしかしてオレにも言ってるんじゃないか?』と。


『オフクロはオレに対して「早く大学に帰れ」と言いたいんじゃ・・・オヤジを利用して、オレに遠回しに「オマエは帰られん=実家にいてはいけない=早く帰れ=オマエが戻らない限り、父さんを代わりにいたぶり続けるぞ!」と言いたい脅しなんじゃ、これは・・・』と思ってしまった。


父のリハビリ入院期間中、母は僕を引き合いに使って父を怒鳴り上げることがあった。

・『鳴鹿が味方だと思ったら大間違いよ(怒)!』


さも僕が悪いかの様に言われたこともあった。

・『アンタが味方だと思って、父さんが反抗ばっかするじゃない(怒)!』


僕と父が楽しく雑談しているのに遭遇したら、何か含んだ様な物言いをしてきたこともあった。

・『・・・アンタら、楽しそうじゃね(冷)・・・』

などなど。


僕はこの頃、母の前ではなるべく父と楽しく会話している様に見えない様に、なるべく父にフレンドリーに話しかけない様に気をつけていた記憶がある。

~~~~~~~

そもそも、中学・高校時代の頃の僕は、父を虐待していた母と共犯関係であり、父のことを毛嫌いしていた。

母が父に貼る悪意のレッテルに多少の疑問も持っていたとは思うけど、今に比べたらその意識レベルが全然低い段階だった。

10代の頃の僕に、母の「父と息子」分離作戦、「息子が父親を嫌う様に仕向ける」作戦は大成功していた。


そして、母のこの連呼モラハラが始まった時も、『オレが勝手に「家に帰れる」っぽいことをオヤジに言ったせいなんじゃ・・・だからオフクロはオヤジを攻撃するんじゃ・・・』とは最初から思っていた。

そう、思わされていた。

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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

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母の連呼モラハラが連日行われていた時、僕は夜が怖かった。

「明日病院に行ったら、オヤジが死んでるんじゃないか?」って。

「この夜に病院から緊急電話が架かってくるんじゃないか?」って。

「あの固定した柵は、半身不随でも越えようとすれば越えられないことはないんじゃないか?」って。

「今頃、オヤジは病室のベッドの上で泣いてるんじゃないか?」って。


僕は布団の中で、湯船の中で、屋上で、そんなことばかりを考えていたと思う。


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1
  (続き)

以前、あの時あちこち相談すれば良かった。~初相談以降33~という記事を書いたことがある。

母の連呼モラハラで父が連日精神的に嬲られていた時も、その惨状を誰かに相談するべきだったと今は思う。

姉に。親戚に。

とにかく、騒ぎ立てればよかった。

問題をより多くの人で共有すればよかった。

僕1人で答えを見つけようとする必要なんてなかったのに。1人でどうにかできる能力も、健康状態もなかったくせに。

しかも、結局はなあなあのままに済ませて時は過ぎ、結果的にはその数ヵ月後にリハビリ入院期限がきて、父は家に帰ることになった。


施設入所はまず無理だったのに、自宅介護になることはわかってたのに、結局は家に帰ったのに、なぜそれに先立って父の希望を執拗に連日嬲り回す必要があったのだ?・・・だからこそか?・・・帰れるからこそ腹が立って嬲り回したのか・・・


この10年前当時、僕はこの惨状を誰かに相談するという発想は露ほどにも思い浮かばなかった。

あの機能不全家庭で、「悩みなどを相談する」ことを実践していた人は誰もいなかった。外で気付きを与えられて、意を決して試してみた人生初相談も連呼モラハラで潰されたばかりだった。


この時もきっと本当は緊急事態だったんじゃないだろうか。母の執拗な嬲り回しは、下手したら父の背中を押してもおかしくなかったと僕は思っている。


  (続く)


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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

  (続き)

モラ母の連呼モラハラが連日執行されていた時、僕は前の病院と同じく、モラ母に何度も交替提案をした。

「自分だけが病院行って父を見とくから、たまには休んだら・・・」などと。思いつくかぎりのセリフの角度変えにも挑戦してみた。

とにかく1日だけでも、父からモラ妻を引き離したかった。連呼モラハラを遮断したかった。


でも、前の病院と同じく、提案は全て拒否された。任せてはもらえなかった。

母に抵抗を示す息子~初相談以降27~

ウツめいてる僕の言葉も、説得力はなかった。実際は、僕の方が寝込んでてちょいちょい病院行ってなかったし、後から行ったり・遅れて行ったり・先に帰ったりしていた。

~~(そもそも、「父の病院に行かなきゃいけない」というのも思い込みで、母を恐れての行動でもあったと思う。僕は僕で心療内科に通うべき状態だったと思うし、できるのであれば就活最優先で考えて、行動しててもよい時期でもあったのだが。)~~


交替を拒否されたのは、モラ母に信用もされてなかったからだと思う。何事もモラ母自身で管理したがりで、子供に任せて育てる様な発想も元から乏しいんだと思う。それとも、僕は生贄のスペアだから育てたくなかったのだろうか・・
~~(自分で全て管理・把握してないと、モラ母は不安になるのか?それは所有欲か、何なのか?)~~



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  (続き)

(前回の記事より少しだけ時間が戻るけど)

父がもう自分からは帰宅願望を表明しなくなった直前の頃だったと思う。

母がちょうどいなくて、僕と父だけの時間に、父が不意に『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と言ったことがあった。

父の言葉を受けて、僕はもう「(父が生きる希望を持つ)チャンス!」と思えなくなっていた。

モラ母の連日に亘る連呼モラハラの悪影響だった。


「・・・ヤバイ・・何て答える?」という様なことを思ったと思う。

自宅介護になるのは規定路線だと思ってたけど、連日父をもて遊ぶ母を見て「これは、是が非でもオヤジを施設に入所させるのか?入所できる施設はどこもないと思ってたけど、できる方法があるのか?オフクロはそれを見つけてくるのか?」という様なことを僕は考える様になっていた。

「母が言い出したら(人の話は)聞かない、是が非でも自分の考えを押し通そうとする」のは、わかり過ぎるくらいわかっていた。

ウチの実家は、母がルールだった。(今から思うに)僕は母に自分の頭脳を、支配権を預け過ぎていた。


父の帰宅表明を受けて、僕はどう答えればよいか迷った。精神的に調子が上がらない頭で、それでも瞬時にベターな答えを求めて頭を回転させようとした記憶はある。

「・・・ヤバイ・・オフクロのあの様子だと、ここでオレがオヤジにまた『帰れる』などと希望を持たせるようなことを言っても、どうせすぐ後にまたオフクロに『家に帰りたい?』攻撃をされて泣かされるだけ・・・しかも実際に「帰れる」かどうかわかりゃしない流れ・・・希望を持たせておいて後々本当に帰れなかったら、オヤジのショックがデカ過ぎる・・・でも、絶望して自殺しかかってた(と僕は思ってる)オヤジがせっかく持った生きる希望(と僕は思ってる)・・・これを潰すわけには・・・でも、オフクロが・・・どうしよう?無言もヤバイ・・オレの無言をオヤジがどう受け取るか・・・どうしよう?どうしよう?何て答える?」


結果、僕は父にこんな風な中途半端な返事をした。

僕:『・・・ほうじゃのう・・リハビリもっとガンバって、早く家に帰れるといいの・・・』

語尾がすごく弱々しくなった記憶の感触がある。すごく弱気な声のトーンで返事してしまったと思う。


父が僕の言葉をどう受け取ったかは、もう永遠にわからない。

その後すぐに、父は何度も『よひっ!!はえおう!!』を連呼していた。

まるで、自分に言い聞かせるかの様に。僕に表明するかの様に。母の連呼モラハラに対抗するかの様に。


父のその連呼を受けて、僕はもう無言だった。

10年前当時の僕はそれ以上言えるフォローも励ましも、上手いかわし方も、頭脳も経験もボキャブラリーも持ち合わせていなかった。言葉をポンポン繋げれる健康状態もなかった。

モラ母の攻撃を止める術も、姉などに相談する発想さえも全く思い浮かばなかった。


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2週間ほど間隔が空いたけど、続きです。

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   (続き)

モラ母の「連呼モラハラ」が始まってから3~4日目辺りで、父は『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と自ら表明することはなくなってしまった。

これ以上言っても嬲られて自分の傷口が広がるだけだから、言うことを諦めてしまったのだろう(僕もこの諦めは何度も経験ある)。


でも、モラ妻は「連呼モラハラ」攻撃の手を緩めなかった。

父が帰宅願望を表明しなくなっても、自分からふっかけて嬲り回しにいった。父が二度と表明しない様に、きっちり潰しとくかの様に。

「相手の心をしっかり折っとく、トドメを刺しとく」タイミングを感覚的にわかっていたのだろうか。育った環境でそのやり方の雛形を学んだのだろうか。


~~(病室で)~~

モラ母:「・・・ねえ、お父さん?家に帰りたい?」

父が何も言わなくても、唐突に攻撃を始めるモラ妻。

父:「・・・(無言)」

もはや、帰宅願望を口にすることはなく、すぐに泣きそうになる父。


モラ妻:「ねえ?家に帰りたい?」

父:「!!!(絶句泣)」

顔を歪ませて、また泣き出す父。絶対に父から目を逸らさない鬼嫁。

鬼嫁:「ねえ?家に帰りたい?」

あざける様な口調・表情で言うことはなく、常に神妙に心配そうな口調で言うクズ。


そして、父は怒り、泣き叫ぶ。

鬼は常識論・マナーを盾にしたり、怒って大声を上げたことを逆手に「そんな怒る様な人は家に連れて帰られん!」などと嬲り回す。リハビリでの回復具合も口実に使ったりする。これみよがしに、父の背中をさすってはねのけられたら、それもまた悪用する。

こんなモラハラが何日も続いた。


  (続く)


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  (続き)

父の帰宅願望をさんざん嬲り回して激高させ、泣き叫ばせておきながら、呼吸が激しく乱れてゼーゼーしながら泣いてる父に対してモラ妻は、

『ゆっくり呼吸して!×2』・『鼻で息しんさい!×2』などとほざきながら、父の背中をさすったこともあった。

父は泣きながら、動く側の半身と手だけで身をよじらせて鬼嫁の手を払いのけた。

・・・当たり前だ・・・なぜ今の今、自分を嬲り回して呼吸を乱れさせた「諸悪の根源」に、「ゆっくり呼吸して」などといかにも相手を心配する様なアドバイスをされながら、背中をさすられなければならんのだ・・・

オレだって払いのけるわ。
誰だって触られたくないわ。

バカにしてやがる。


払いのけられたモラ母は、「・・・何でそんなことするん(怒)?そんなことする人は家に連れて帰られん!」などとまたほざきやがった。

バカにしてやがる。


例えば、ここで「ゴメンね、ゴメンね」などとでも連呼しながら背中をさするなら、それはそれでも許せないが、それでも払いのけられるだろうが、少なくとも「自分が呼吸を乱れさせた」事実は背負ってる。

あるいは、その謝罪が帰宅願望を嬲り回したことを指しているなら、自分のしでかした最低限の罪は背負ってると思う。少なくとも認識はできている。

~~(オマエのは背中さすってると見せかけて、精神的にあらぬ方向に背中を押してるんだろ~がよ泣)~~

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モラ母は「本当に家に帰りたい?」連呼モラハラで父をワザと怒らせ、その後に「(病室で)大きな声出さんの!何でそんな声出すん?」・ 「そんな怒る様な人は家に連れて帰られん!」などと公共のマナーや常識を盾に取った様なふざけたモラハラで父を日々ズタボロにしていたが、


日によっては、連呼モラハラ→常識論の悪用の後に

・『今のリハビリの状況じゃあ、家に連れて帰られん!』
・『もっと歩けるようにならんにゃあ、家に連れて帰られん!』
などとほざく日もあった。

その前段階の執拗な「本当に家に帰りたい?」連呼モラハラなしで、リハビリについて父の更なるやる気をうながすためにそれを言ったなら、そこまで間違ってるとは思わなかったと思う。

~(モラ妻独自のリハビリのやらせ方自体が介護虐待に見える、という問題はあるにしても)~

先にさんざん連呼で父を嬲り回しているから、一見まともなこと言ってるっぽい「リハビリ」についての言及も卑怯な弄びにしか僕には聞こえなかった。


・・・何でだよ・・何であんな酷いことしたんだよ、オフクロ・・・

・・・気持ち悪い・・気持ち悪いよ、アンタのやったこと。


~~~~~~~

連呼モラハラの最中の僕の割り込みは、全てモラ母の「私はバカじゃけえわからん」の伝家の宝刀・逃げ口上で瞬殺された。

・・・何だ?モラ母がオヤジをもて遊んでるのに「私はバカじゃけえわからん」て・・・

オヤジのセリフが半身付随・失語症で聞き取りづらいのをいいことに、「私はバカじゃけえ(お父さんの聞き取りづらいセリフが)わからん」てか(怒)!

「私はバカじゃけえ(旦那が帰りたがってるかどうか)わからん」てか(怒)!

それとも、「私はバカじゃけえ(旦那を傷つけてることが)わからん」なのか(怒)?

・・・ふざけやがって(怒)!。

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  (続き)

翌日の病室で、父は前日のモラ妻による嬲り回しに負けず、また自ら不意に僕と母の前で『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と言い出した。昨日よりも強い口調で意思表明した。

まるでモラ嫁に「お願いだ!オレは家に帰りたいんだ!家に帰らせてくれ!『連れて帰れない』とか言わないでくれ!」と示すかの様に・・・

僕にも「帰りたいんだ!オレの味方してくれ!母さんを何とかしてくれ!」と言いたかったのだろうか・・・


それを聞き咎めたモラ母は、

モラ嫁:「・・ねえ、お父さん?本当に家に帰りたい?」

父の意思の出鼻をきっちり挫き、潰しとくかの様に、またモラ妻の「連呼モラハラ」が始まった。

父:「ウン!かえいはい!=(ウン!帰りたい!)」

鬼嫁に抵抗を示すかの様に、昨日よりも強い口調で父は即答した。

モラ妻:「・・・(無言)」

~~自分の望む答えが返ってこなかった様で、不満な様子の鬼嫁の無言の間・・・のはずなのに、いかにも悲しそうな表情を浮かべて父から目を逸らさないモラ嫁。まるで「家に帰らせてあげたいけど・・・可哀想だけど帰れないのよ(悲)・・・」とでも言いたいような。嬲り回して追い込んでるのはオフクロなのに!?気持ち悪い。~~



モラ妻:「・・・ねえ?本当に!家に!帰りたい?」

父:「・・・(無言)」

~~鬼嫁の無言の圧迫とは真逆の父の無言。悲しそうな、不安そうな顔でやはり鬼嫁から目を逸らせない父。こんな無言・絶句ばかり強いられれば、ただでさえ脳梗塞・半身不随の後遺症が出てるのに、輪を掛けてしゃべれなくなっていくと思う。父の「失語症」という診断は、モラ妻の日々の圧迫・虐待のせいでもあったと僕は思っている。~~


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