モラルハラスメント脱獄記-モラ母(毒親・毒母)の精神的暴力=DVからプリズンブレイク-

最新更新日:2016/08/29~~記事総数:約400記事(※現在、9割の記事を限定公開設定か、アップ取り止めにしています。)~~モラ母から精神的虐待され続けた、僕とオヤジ、ときどき姉の備忘録&克服記!!&僕が『悲しみ・怒り・憎しみ』などの負の感情に振り回されながらも、それを浄化・克服していく過程を綴った成長記にしたいです。 ~~※当ブログ発足(2010年12月)後の2012年春に、父は末期がんで他界しました。~~※現在、コメント・トラックバックは受付停止してます。~~※記事には星印☆0~5個までの6段階区分けがあります。「読んでいただけたらな」と思う記事ほど星☆が多いです。その分、被害体験などがある心身不調の方々が、調子を崩したり、フラッシュバックなどを起こす可能性が高くなる記事も混じってるかもしれません。※現在、限定公開とアップを取り止めた記事ばかりになっています(全体の9割)。※よろしければ、モラハラ・アンケート調査にご協力下さい。結果も見れます。

Tag:嬲り回し

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もしかしたら誤解があるかもしれないけど、約10年前に母が父を連呼モラハラで連日嬲り回していた時、

僕は母に『父を施設に入れるな。自宅で面倒を見ろ。』などということは一切言ってません。


僕は「父が自宅介護になるか・ならないか」・「入所できる施設があるか・ないか」に関わらず、

ただ単に「父の帰宅願望をなかったことにして、嬲り回すのだけはやめてくれ」という主旨のことを母に言いたかっただけです。

母の連呼モラハラを切り口にした嬲り回しがあまりにも聞くに堪えなかったので、物申しただけです。



そもそも、「入所できる施設があれば父を預ける」という母の方針に、僕は最初から一切反対してなかった。

現実に母がメインで父の介護(虐待混み)をしていたし、自宅介護になれば更に母の負担が増すことは僕もわかっていたし、どこで就職するかも定まってなかった僕が介護のやり方はともかく、自宅介護を主張するなんてことは一切なかった(新卒就職できなかったけど、この時点ではまだ一応諦めてはなかった)。

自宅介護で人の目が少なくなれば、母の父への攻撃はますます酷くなる予感はあったし、「施設の方がオヤジもオフクロに攻撃されなくて済みそう。オヤジ自身がオフクロの攻撃を避けたくて、施設に入りたがるかも」とも思ってたから、むしろ僕は施設入所には賛成だった(父は家に帰りたかったことがわかったけど)。

正直、自分の就職場所などに影響することも含めて、入所に賛成だった。

現実には、その時点で入所は無理そうだったし、実際できなくて父は自宅介護になったけど、その後何年も経ってから施設入所の流れになったとしても、僕は反対しなかったはず。



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  (続き)

僕は久しぶりの新幹線や人込みの中で、「パニック発作」の様な状態になっていたと思う。

『・・・いいのか?このまま下宿先に戻っていいのか?「オヤジが死んだ」という連絡があって、すぐにトンボ帰りすることになるんじゃないのか?・・・怖い・・・怖い・・・実家にいるのも、大学に戻るのもどっちも怖い・・・座席に座ってるのも、人込みも怖い・・・どうすればいいんだ?オレは一体どうすればいいんだ?』

などと新幹線の席に座ってる間、終始そんなことで頭がいっぱいになっていたと思う。

脇の下や手に汗をぐっしょりかき、呼吸も乱れていたと思う。

~~(そう言えば、実家と大学を帰省で往復する時は、電車・バス内などでいつも緊張から汗をかいていたことを思い出した。)~~

目にも緊張ですごい力が入っていた感触の記憶がある。

~~(これを書いてる最中に、目の周りの皮膚や筋肉に当時の感触が蘇ってきた。)~~



僕はもう何を考えていいかわからなくなって、全てが怖くて、大阪で途中下車した。切符は東京まで買っていたのに。

駅のホームのベンチや、改札口近くのベンチにぐったり座って何時間も過ごした。

その後、地元までの切符を買って、日帰りで実家に帰ってしまった。

交通費数万円が無駄になった。続きを読む

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