タグ:自殺教唆的モラハラ
執拗に連日続けられたモラハラ連呼(どんなに泣き叫んでも冷酷に耽々と)~初相談以降44~
(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)
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(続き)
翌日の病室で、父は前日のモラ妻による嬲り回しに負けず、また自ら不意に僕と母の前で『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と言い出した。昨日よりも強い口調で意思表明した。
まるでモラ嫁に「お願いだ!オレは家に帰りたいんだ!家に帰らせてくれ!『連れて帰れない』とか言わないでくれ!」と示すかの様に・・・
僕にも「帰りたいんだ!オレの味方してくれ!母さんを何とかしてくれ!」と言いたかったのだろうか・・・
それを聞き咎めたモラ母は、
モラ嫁:「・・ねえ、お父さん?本当に家に帰りたい?」
父の意思の出鼻をきっちり挫き、潰しとくかの様に、またモラ妻の「連呼モラハラ」が始まった。
父:「ウン!かえいはい!=(ウン!帰りたい!)」
鬼嫁に抵抗を示すかの様に、昨日よりも強い口調で父は即答した。
モラ妻:「・・・(無言)」
~~自分の望む答えが返ってこなかった様で、不満な様子の鬼嫁の無言の間・・・のはずなのに、いかにも悲しそうな表情を浮かべて父から目を逸らさないモラ嫁。まるで「家に帰らせてあげたいけど・・・可哀想だけど帰れないのよ(悲)・・・」とでも言いたいような。嬲り回して追い込んでるのはオフクロなのに!?気持ち悪い。~~
モラ妻:「・・・ねえ?本当に!家に!帰りたい?」
父:「・・・(無言)」
~~鬼嫁の無言の圧迫とは真逆の父の無言。悲しそうな、不安そうな顔でやはり鬼嫁から目を逸らせない父。こんな無言・絶句ばかり強いられれば、ただでさえ脳梗塞・半身不随の後遺症が出てるのに、輪を掛けてしゃべれなくなっていくと思う。父の「失語症」という診断は、モラ妻の日々の圧迫・虐待のせいでもあったと僕は思っている。~~
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(続き)
翌日の病室で、父は前日のモラ妻による嬲り回しに負けず、また自ら不意に僕と母の前で『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と言い出した。昨日よりも強い口調で意思表明した。
まるでモラ嫁に「お願いだ!オレは家に帰りたいんだ!家に帰らせてくれ!『連れて帰れない』とか言わないでくれ!」と示すかの様に・・・
僕にも「帰りたいんだ!オレの味方してくれ!母さんを何とかしてくれ!」と言いたかったのだろうか・・・
それを聞き咎めたモラ母は、
モラ嫁:「・・ねえ、お父さん?本当に家に帰りたい?」
父の意思の出鼻をきっちり挫き、潰しとくかの様に、またモラ妻の「連呼モラハラ」が始まった。
父:「ウン!かえいはい!=(ウン!帰りたい!)」
鬼嫁に抵抗を示すかの様に、昨日よりも強い口調で父は即答した。
モラ妻:「・・・(無言)」
~~自分の望む答えが返ってこなかった様で、不満な様子の鬼嫁の無言の間・・・のはずなのに、いかにも悲しそうな表情を浮かべて父から目を逸らさないモラ嫁。まるで「家に帰らせてあげたいけど・・・可哀想だけど帰れないのよ(悲)・・・」とでも言いたいような。嬲り回して追い込んでるのはオフクロなのに!?気持ち悪い。~~
モラ妻:「・・・ねえ?本当に!家に!帰りたい?」
父:「・・・(無言)」
~~鬼嫁の無言の圧迫とは真逆の父の無言。悲しそうな、不安そうな顔でやはり鬼嫁から目を逸らせない父。こんな無言・絶句ばかり強いられれば、ただでさえ脳梗塞・半身不随の後遺症が出てるのに、輪を掛けてしゃべれなくなっていくと思う。父の「失語症」という診断は、モラ妻の日々の圧迫・虐待のせいでもあったと僕は思っている。~~
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僕はチャンスと思ったが、モラ母は不快だったらしい。~初相談以降42~
あれは約10年前の夏の終わり頃、今ぐらいの季節のことだった。
僕・父・母の3人で父が入所できそうな施設見学に行ったことがあるけど、その後数日以内のことだったと思う。
ある日、病室で親子3人何もしゃべらずまったり過ごしていた時のこと。
父が不意に、『よひっ!!はえおう!!(=よしっ!帰ろう!!)』と強い口調で言った。
半身不随で体の右側が動かないため(口も)に聞き取りづらかったけど、僕には父のセリフが明らかに「よしっ!(家に)帰ろう!」に聞こえた。
「家に帰りたい」という父の表明、僕はそう受け取った。
~~(父は最期まで別に入れ歯は入れなかった。部分入れ歯も入れておらず、最後まで自前の歯はかなり残っていた。入れ歯を外している時の様に受け取れるしゃべり方を今までも書いたことあるけど、それは半身不随の後遺症です。)~~
父は「よひっ!!はえおう!!」を何度か連呼した。独白と言うよりは、僕と母に聞かせて「帰りたい」意思を示すかの様に。
父の目には決意とまで言えるほどの力強さは感じなかったけど、希望の色が浮かんでいる様に僕には見えた。ついこの間まで絶望の眼差しをしていた人間が、生きる希望を見出した様に僕には見えた。
~~(父は施設見学の後にこのセリフを言った。施設入所が現時点(当時)では厳しいことは、父も感じていたはず。いや、初めから施設入所は嫌で、見学も乗り気じゃなかったんじゃないかと。この時点まで、僕は父の意思を確認していなかった。母もしてなかったと思う。未確認のまま施設見学にも行ってたはずだし、父も交えてその辺りの話し合いなどしたことはなかった。)~~
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僕・父・母の3人で父が入所できそうな施設見学に行ったことがあるけど、その後数日以内のことだったと思う。
ある日、病室で親子3人何もしゃべらずまったり過ごしていた時のこと。
父が不意に、『よひっ!!はえおう!!(=よしっ!帰ろう!!)』と強い口調で言った。
半身不随で体の右側が動かないため(口も)に聞き取りづらかったけど、僕には父のセリフが明らかに「よしっ!(家に)帰ろう!」に聞こえた。
「家に帰りたい」という父の表明、僕はそう受け取った。
~~(父は最期まで別に入れ歯は入れなかった。部分入れ歯も入れておらず、最後まで自前の歯はかなり残っていた。入れ歯を外している時の様に受け取れるしゃべり方を今までも書いたことあるけど、それは半身不随の後遺症です。)~~
父は「よひっ!!はえおう!!」を何度か連呼した。独白と言うよりは、僕と母に聞かせて「帰りたい」意思を示すかの様に。
父の目には決意とまで言えるほどの力強さは感じなかったけど、希望の色が浮かんでいる様に僕には見えた。ついこの間まで絶望の眼差しをしていた人間が、生きる希望を見出した様に僕には見えた。
~~(父は施設見学の後にこのセリフを言った。施設入所が現時点(当時)では厳しいことは、父も感じていたはず。いや、初めから施設入所は嫌で、見学も乗り気じゃなかったんじゃないかと。この時点まで、僕は父の意思を確認していなかった。母もしてなかったと思う。未確認のまま施設見学にも行ってたはずだし、父も交えてその辺りの話し合いなどしたことはなかった。)~~
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