モラルハラスメント脱獄記-モラ母(毒親・毒母)の精神的暴力=DVからプリズンブレイク-

最新更新日:2016/08/29~~記事総数:約400記事(※現在、9割の記事を限定公開設定か、アップ取り止めにしています。)~~モラ母から精神的虐待され続けた、僕とオヤジ、ときどき姉の備忘録&克服記!!&僕が『悲しみ・怒り・憎しみ』などの負の感情に振り回されながらも、それを浄化・克服していく過程を綴った成長記にしたいです。 ~~※当ブログ発足(2010年12月)後の2012年春に、父は末期がんで他界しました。~~※現在、コメント・トラックバックは受付停止してます。~~※記事には星印☆0~5個までの6段階区分けがあります。「読んでいただけたらな」と思う記事ほど星☆が多いです。その分、被害体験などがある心身不調の方々が、調子を崩したり、フラッシュバックなどを起こす可能性が高くなる記事も混じってるかもしれません。※現在、限定公開とアップを取り止めた記事ばかりになっています(全体の9割)。※よろしければ、モラハラ・アンケート調査にご協力下さい。結果も見れます。

Tag:連呼モラハラ

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母の父に対する連呼モラハラが始まる数週間前、真夏の頃だったと思う。

母が姉に何かの用事で電話を架け、例によって「姉は電話に出ない、何日も折り返し電話がない、やっとつかまっても態度がつっけんどん」だった時のこと。

~~(姉も僕と同じく電話が苦手だし、母に対して「内化した怒り」があるので、母への電話対応が悪くなってたんだと思う。実際に会えば母からの話聞かされまくりだし、電話ではせめてもの抵抗と言いますか・・・)~~


姉との通話が終わった直後、母はブツブツと独り言を言い出した。

『・・・あんな態度で旦那さんの親と上手くやっていけるのかしら・・・』

『・・・離婚して実家に帰って来るんじゃ・・・』

『!!!』

『そんなことは許さん(怒)!そんなことは許さん(怒)!』


母は1人でブツブツと文句を言い、自分で言った「離婚」という言葉に1人で怒り出し、「許さない」をイライラしながら連呼していた。


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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

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母の連呼モラハラが連日行われていた時、僕は夜が怖かった。

「明日病院に行ったら、オヤジが死んでるんじゃないか?」って。

「この夜に病院から緊急電話が架かってくるんじゃないか?」って。

「あの固定した柵は、半身不随でも越えようとすれば越えられないことはないんじゃないか?」って。

「今頃、オヤジは病室のベッドの上で泣いてるんじゃないか?」って。


僕は布団の中で、湯船の中で、屋上で、そんなことばかりを考えていたと思う。


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1
  (続き)

以前、あの時あちこち相談すれば良かった。~初相談以降33~という記事を書いたことがある。

母の連呼モラハラで父が連日精神的に嬲られていた時も、その惨状を誰かに相談するべきだったと今は思う。

姉に。親戚に。

とにかく、騒ぎ立てればよかった。

問題をより多くの人で共有すればよかった。

僕1人で答えを見つけようとする必要なんてなかったのに。1人でどうにかできる能力も、健康状態もなかったくせに。

しかも、結局はなあなあのままに済ませて時は過ぎ、結果的にはその数ヵ月後にリハビリ入院期限がきて、父は家に帰ることになった。


施設入所はまず無理だったのに、自宅介護になることはわかってたのに、結局は家に帰ったのに、なぜそれに先立って父の希望を執拗に連日嬲り回す必要があったのだ?・・・だからこそか?・・・帰れるからこそ腹が立って嬲り回したのか・・・


この10年前当時、僕はこの惨状を誰かに相談するという発想は露ほどにも思い浮かばなかった。

あの機能不全家庭で、「悩みなどを相談する」ことを実践していた人は誰もいなかった。外で気付きを与えられて、意を決して試してみた人生初相談も連呼モラハラで潰されたばかりだった。


この時もきっと本当は緊急事態だったんじゃないだろうか。母の執拗な嬲り回しは、下手したら父の背中を押してもおかしくなかったと僕は思っている。


  (続く)


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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

  (続き)

モラ母の連呼モラハラが連日執行されていた時、僕は前の病院と同じく、モラ母に何度も交替提案をした。

「自分だけが病院行って父を見とくから、たまには休んだら・・・」などと。思いつくかぎりのセリフの角度変えにも挑戦してみた。

とにかく1日だけでも、父からモラ妻を引き離したかった。連呼モラハラを遮断したかった。


でも、前の病院と同じく、提案は全て拒否された。任せてはもらえなかった。

母に抵抗を示す息子~初相談以降27~

ウツめいてる僕の言葉も、説得力はなかった。実際は、僕の方が寝込んでてちょいちょい病院行ってなかったし、後から行ったり・遅れて行ったり・先に帰ったりしていた。

~~(そもそも、「父の病院に行かなきゃいけない」というのも思い込みで、母を恐れての行動でもあったと思う。僕は僕で心療内科に通うべき状態だったと思うし、できるのであれば就活最優先で考えて、行動しててもよい時期でもあったのだが。)~~


交替を拒否されたのは、モラ母に信用もされてなかったからだと思う。何事もモラ母自身で管理したがりで、子供に任せて育てる様な発想も元から乏しいんだと思う。それとも、僕は生贄のスペアだから育てたくなかったのだろうか・・
~~(自分で全て管理・把握してないと、モラ母は不安になるのか?それは所有欲か、何なのか?)~~



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(※注意:人によっては体調・精神状態を崩したり、モラハラ・DV被害のフラッシュ・バック等が起こる毒記事かもしれません。)

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  (続き)

(前回の記事より少しだけ時間が戻るけど)

父がもう自分からは帰宅願望を表明しなくなった直前の頃だったと思う。

母がちょうどいなくて、僕と父だけの時間に、父が不意に『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と言ったことがあった。

父の言葉を受けて、僕はもう「(父が生きる希望を持つ)チャンス!」と思えなくなっていた。

モラ母の連日に亘る連呼モラハラの悪影響だった。


「・・・ヤバイ・・何て答える?」という様なことを思ったと思う。

自宅介護になるのは規定路線だと思ってたけど、連日父をもて遊ぶ母を見て「これは、是が非でもオヤジを施設に入所させるのか?入所できる施設はどこもないと思ってたけど、できる方法があるのか?オフクロはそれを見つけてくるのか?」という様なことを僕は考える様になっていた。

「母が言い出したら(人の話は)聞かない、是が非でも自分の考えを押し通そうとする」のは、わかり過ぎるくらいわかっていた。

ウチの実家は、母がルールだった。(今から思うに)僕は母に自分の頭脳を、支配権を預け過ぎていた。


父の帰宅表明を受けて、僕はどう答えればよいか迷った。精神的に調子が上がらない頭で、それでも瞬時にベターな答えを求めて頭を回転させようとした記憶はある。

「・・・ヤバイ・・オフクロのあの様子だと、ここでオレがオヤジにまた『帰れる』などと希望を持たせるようなことを言っても、どうせすぐ後にまたオフクロに『家に帰りたい?』攻撃をされて泣かされるだけ・・・しかも実際に「帰れる」かどうかわかりゃしない流れ・・・希望を持たせておいて後々本当に帰れなかったら、オヤジのショックがデカ過ぎる・・・でも、絶望して自殺しかかってた(と僕は思ってる)オヤジがせっかく持った生きる希望(と僕は思ってる)・・・これを潰すわけには・・・でも、オフクロが・・・どうしよう?無言もヤバイ・・オレの無言をオヤジがどう受け取るか・・・どうしよう?どうしよう?何て答える?」


結果、僕は父にこんな風な中途半端な返事をした。

僕:『・・・ほうじゃのう・・リハビリもっとガンバって、早く家に帰れるといいの・・・』

語尾がすごく弱々しくなった記憶の感触がある。すごく弱気な声のトーンで返事してしまったと思う。


父が僕の言葉をどう受け取ったかは、もう永遠にわからない。

その後すぐに、父は何度も『よひっ!!はえおう!!』を連呼していた。

まるで、自分に言い聞かせるかの様に。僕に表明するかの様に。母の連呼モラハラに対抗するかの様に。


父のその連呼を受けて、僕はもう無言だった。

10年前当時の僕はそれ以上言えるフォローも励ましも、上手いかわし方も、頭脳も経験もボキャブラリーも持ち合わせていなかった。言葉をポンポン繋げれる健康状態もなかった。

モラ母の攻撃を止める術も、姉などに相談する発想さえも全く思い浮かばなかった。


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2週間ほど間隔が空いたけど、続きです。

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   (続き)

モラ母の「連呼モラハラ」が始まってから3~4日目辺りで、父は『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と自ら表明することはなくなってしまった。

これ以上言っても嬲られて自分の傷口が広がるだけだから、言うことを諦めてしまったのだろう(僕もこの諦めは何度も経験ある)。


でも、モラ妻は「連呼モラハラ」攻撃の手を緩めなかった。

父が帰宅願望を表明しなくなっても、自分からふっかけて嬲り回しにいった。父が二度と表明しない様に、きっちり潰しとくかの様に。

「相手の心をしっかり折っとく、トドメを刺しとく」タイミングを感覚的にわかっていたのだろうか。育った環境でそのやり方の雛形を学んだのだろうか。


~~(病室で)~~

モラ母:「・・・ねえ、お父さん?家に帰りたい?」

父が何も言わなくても、唐突に攻撃を始めるモラ妻。

父:「・・・(無言)」

もはや、帰宅願望を口にすることはなく、すぐに泣きそうになる父。


モラ妻:「ねえ?家に帰りたい?」

父:「!!!(絶句泣)」

顔を歪ませて、また泣き出す父。絶対に父から目を逸らさない鬼嫁。

鬼嫁:「ねえ?家に帰りたい?」

あざける様な口調・表情で言うことはなく、常に神妙に心配そうな口調で言うクズ。


そして、父は怒り、泣き叫ぶ。

鬼は常識論・マナーを盾にしたり、怒って大声を上げたことを逆手に「そんな怒る様な人は家に連れて帰られん!」などと嬲り回す。リハビリでの回復具合も口実に使ったりする。これみよがしに、父の背中をさすってはねのけられたら、それもまた悪用する。

こんなモラハラが何日も続いた。


  (続く)


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  (続き)

病室で、父が『よひっ!!はえおう!!「=よしっ!(家に)帰ろう!!」』と不意に意思表明をし、

それを受けて僕が『お~!その意気じゃあ!いいこと言うじゃん、オヤジ!!もう少しで帰れるで~!!』という様なことを言ったすぐ後に、

モラ母は父の真正面に座って正対し、こんなことを父に言い出した。


モラ母:「・・ねえ、お父さん?本当に家に帰りたい?」
~神妙に真面目な話をするかの様な口調で~

オヤジ:「ウン!かえいはい!=(ウン!帰りたい!)」

父は即答だった。

モラ妻:「・・・ねえ?本当に家に帰りたい?」

オヤジ:「ウン!かえいはい!」

僕:「・・・?(無言:嫌な予感がしたと思う)」

モラ嫁:「・・・ねえ?本当に!家に!帰りたい?」

モラ母の口調が少しずつ強くなり始めていた。でも、ものすごく冷静に脅していた。

オヤジ:「・・・ウン・・かえ・いはい・・」

父の顔が曇り始めた。不安そうな返事だった。

僕:「!!(絶句)」

数ヶ月前に僕の初相談を嬲り回し、担当医師をキレさせた、同じセリフの「連呼」で自分の要求を通そうとする、自分に都合の良い状況を作り出そうとするモラ母の得意技が始まっていた。

~~(車椅子に座っている父の目の前にしゃがんで連呼しているモラ母。上から見下ろしているわけではなく、目の高さは父より下になっていたが、要求している内容は脅迫だった。父の手こそ掴んでいなかったものの、時折モラ母がまるで幼児を叱る時の様に父の両手を持って強く揺さぶりながら、「いいっ!アンタはバカなんよねええ(怒)!」と激高してなじる距離・体勢と同じだった。)~~


鬼嫁:「・・・ねえ、お父さん!本当に!家に!帰りたい?」
~ますます、強い口調で、でも冷静に~

傍で見てて、どう考えても「(訳):帰りたくないって言え!」にしか聞こえなかった。
脅迫そのものだった。

オヤジ:「!!!(泣)」

半身不随の父の顔が、顔の片側だけで子供が泣く時の顔の様に歪んだ。

鬼嫁はそんな父の顔から一切目を逸らさなかった。


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